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中田雅敏の研究室便り

鬼平犯科帳

2014/12/02

  松平定信と長谷川平蔵

 江戸の三大改革は、「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」であっただろうか。もしかしたらひとつ違っていたかもしれない。何しろ小学校の時に習ったことであるから。

 松平定信は将軍吉宗の孫にあたる。白河藩主として名君の誉れ高く、老中となって寛政の改革に取り組んだ。隠居後に自伝『宇下人言』を残している。「うげのひとごと」と読むが、これは自分の名を取って名付けた。さてどのように自分の名を取り入れているのでしょう、謎解きのヒントは定信の文字が入っていることである。などと謎解きをしている場合ではない。

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 天明午のとし、諸国人別改められしに、前の子の年よりは諸国にて百四十万人減じぬ。この減じたるはみな死にうせしにはあらず。ただ帳外となり、又は出家山伏となり、又は無宿となり、又は江戸へ出て人別にもいらず、さまよいありく徒とは成る。
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この記事は天明六年のことで、有名な天明の大飢饉で大打撃を受けた二年後のことである。この年は飢餓の傷に追い打ちをかけるように関東地方は史上稀に見る大雨つづきで大洪水に見まわれていた。日本の人口動態が調査されたのは八代吉宗の享保六年からである。

 安永九年から天保六年まで一年に平均十五万人ずつ減っていった。今の人口減社会と同じ状態であった。翌々年に首席老中であった定信は大阪の中井竹山、中井履軒兄弟から囚人を労働させ有償にして罪人を改悛させる「永年牢論」を学んだ。無年期で労働をさせ給与を支給するという、無宿収容施設設置案であった。

 天明八年に江戸にもどったときに無宿人があふれていた。そこで定信は無宿者対策の諮問をしたところ、当時から火付盗賊改役の平蔵が制作して提出したプランを見て実施に移すべくこれを採用した。長谷川家は三河以来の譜代の旗本で、歴として家格、平蔵の父は京都町奉行を務めた。平蔵も若いときに将軍にお見えし、書院番御先手組に属した。それだけではない。書院番番士の中でも出世頭御先手組で大手柄を立て続けていた。

 書院番は将軍の御衛職であるから出世は間違いない。その上に番士という最も将軍に近い場所でのお役であった。火盗改役は平蔵が適役と認められて初めて置かれた職であった。手当はわずか六十人扶持であったが町奉行と並ぶ重大な権限を有し、書院番御先手組の臨時役で「加役」と呼ばれたが平蔵は目立った働きが買われ、定信から人足寄場の設置に当たった。役名は「加役方人足寄場」となった。では、山本博文先生がおっしゃるように平蔵は嫌われ者だったのであろうか。定信はこう言っている。

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 いづれ長谷川の功なりけるが、この人、功利をむさぼるが故に、山師などといふ姦なる事もあるよしにて、人々あしくぞいふ。これもまた知れども、左計りの人にあらざれば、この創業はなしがたしと、同列とも議して、まづこころみしなり。
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まぁ全幅の信頼というわけではなかったが、個人的には嫌いでも経済と庶民生活の立て直しのため、下世話なことに通じ、世事を心得ていた平蔵の能力をかって登用し、それがうまく功を奏したのであった。この後、江戸は無宿人が激減し、治安も極めて安定した。

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