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中田雅敏の研究室便り

「都忘れ」と「勿忘草」はどんな意味がある花か。

2016/03/23

逃れ来て都忘れに後ろ髪 (水光)   なむぢそも勿忘草の名を惜しめ (水光)

「なむぢ」は「なんぢ」の大和言葉です。漢字では 「汝」です。「そ=代名詞」「も=係助詞」で「それそれ」とか「さてもさても」と言う意味です。「名を惜しめ」は平氏政権から源氏が政権を奪取して以来、鎌倉、室町、徳川、の三政権は源氏です。信長、毛利、は平氏です。

武田信玄は群馬県太田の金山城の新田源氏。足利政権は、群馬県足利市の鑁阿寺が居城です。鎌倉源氏は源義家、以来関東から陸奥に勢力を築きました。平氏は伊勢平氏と言われ伊予や九州に根を張りました。
鎌倉幕府を滅ぼした北條は平家、あの有名な平氏の平将門を打ち取った飯能の俵藤太は名前の通り藤原氏、つまり「政権」を担えるのは「藤原氏、平氏、源氏、橘氏」の四氏だけです。「源平藤橘」と言います。

秀吉は藤原氏の養子となったのち「豊臣」の姓を朝廷から賜り関白になりましたが、古来よりのしきたりにのっとって豊臣はすべて抹殺、今に至っても豊臣はありません。秀吉一代限りの姓です。

「平家物語」は「平氏と源氏」の二大棟梁のもとにさまざまな姓を持った全国の武士が集結して戦ったので、日本全土を二分し「平氏の赤旗、源氏の白旗」を掲げました。明治維新も同じです。

毛利氏は源頼朝政権の政所長官の大江広元、大江国英父子は平氏で、毛利はその末裔です。ゆえに徳川を討伐しました。つまり明治維新も源平の二大勢力の戦いでした。

薩摩島津は源頼朝の腹違いの弟ですから、関が原では三成陣営に属しましたが闘わずじまいです。薩摩の西郷隆盛が毛利に焚きつけられ、言いくるめられて討幕に走らせられたので、隆盛は死に場所を求めて西南戦争で討ち死にしました。

このように平氏政権以来、今日まで源平合戦は続いています。関東地方の武士である畠山重忠、熊谷直実は平氏、佐々木信綱、比企義一などは源氏です。関東の武士は源平双方とも「居住地の名」をとり苗字にしました。猪俣、河原、金重、鬼窪、など皆地名です。あの漫画家の手塚治の祖は「宇治川の合戦で討ち死」した手塚の太郎です。木曾義仲は埼玉の嵐山生まれ、この人たちは源平の合戦で「坂東武者」として平氏姓、源氏姓、にかかわらず、「生を受けた土地の名」を取って苗字として誇りにし、「生き死に」よりも、この「土地の名」にかけて恥ずかしくない戦い方をいたしました。それが「名を惜しむ」です。

つまり命を懸けて辱めを受けない死に方をしたのです。「勿忘草」はそういう意味で「名づけられた花」です。また「都忘れ」という花がありますが、これは都を追われた人々、平氏、藤原氏、在原氏、橘氏、日野氏、などが都を懐かしく思い、この紫の花をみて「都を忘れないように」との願いを込めて名付けた花です。

「名こそ惜しめ」は敵に背を向けず、真正面から、「お前の生地を忘れるな、生地の名に懸けて恥ずかしくない戦いをせよ」と言う意味です。「花が生死を考えずに見事に咲いて散る」ということを強調して「名こそ惜しめ」と言う覚悟を以って戦ったのです。「都忘れ」も「勿忘草」も春の花です。ゆかしいいわれと名前を持っているのですね。「俳句」はこんな歴史も「たったの十七文字で表現」できるのです。

「生地を忘れていい加減な生き方をしないように、と言う戒めが勿忘草」にはあるのですね。

さあ、おなたもそんな思いを俳句に詠んでみませんか。

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