今回は、「私学」について考えてみたいと思います。
私学といえども、法律上は公教育の一部と見なされています。しかし、公の支配に属し、公立学校と同じことをしていたのでは、私学の存在価値はありません。そのため、私学にはそれぞれミッション(理念・使命)があり、それを実現するために存在しているはずです。八洲学園のミッションは前回書いたので省略しますが、そのミッションが実現できないのであれば、存在する意味がありません。昨今、私学の破綻が問題視されていますが、私学が破綻することをネガティブに捉える必要はないと思います。ミッションを終えた学校がゴールするだけなのです。もちろん、在校生を路頭に迷わせるようなゴールの仕方は良くありませんが、静かに使命を終えるのは悪いことではありません。企業50年説があるように、私学にも寿命があってもおかしくないはずです。卒業生の郷愁のためだけに器だけの母校を存続させるのはナンセンスでしょう。現に、公立の学校は統廃合を繰り返し、すでに母校をなくしている国民は数知れないのです。
もちろん、新たなミッションを再構築し、それに向かってまい進するのも一つの選択肢ですが、この先、八洲学園が破綻することがあるかもしれません。そのときは、八洲学園のミッションが実現し、教育制度の変革がルーティンワークとして制度に組み込まれるか、八洲学園以外にも変革の能動者が多く出現したか、もしくは、国民が教育制度の変化を望んでいないかのいずれかしょう。
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