
自由に生きるとは何か
2022/07/10
6月のある日の夕刻のことでした。水を張った田んぼの中に、太陽の道が現れました。あまりの光景に見とれていると、体から何かが抜けて行くようでした。ヨゴレが落ちたのでしょう。一日の終わりに、ビールでも飲んで心地よいひと時をと思っていたのですが、そんなことはどうでもよくなりました。
そして、太陽の道を通って心に入って来たものがありました。何かが心を満たしてくれるのです。何なのでしょう。不満やねたみはよく心にたまります。しかし、そんなものとは真逆の、すがすがしい思いがするものです。ビールの快楽どころではありません。
おそらく、太陽が、自由に生きることの価値を知らせに来てくれたのでしょう。
子どものとき、農作業のお手伝いをよくさせられました。汗は出るし、ケガはするし、疲れるし、嫌でした。近所の子どもたちは遊んでいる、それなのになぜ自分はこんなことをしなければならないのか、と自分の境遇をうらみました。
それから幾星霜。今は、東京に居て教員をしています。しかし、田んぼに水を張って米をつくる季節になると、田舎に帰り、農作業にいそしみます。これが嫌ではないのです。自分の自由意思で行っているからでしょう。困難なことがかえって自分を前に進め、メンタルを支えてくれます。大地を耕し、伸びる草を刈り、はるか彼方から水路を整備して水を引いて来る。先祖と同じ営みができることに、安堵と充実感を感じるのです。親に感謝しています。
子どものとき、ふてくされた顔でお手伝いをしていたことでしょう。まことに申し訳なかったと、手を合わせました。
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